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タイトル: 九州東部沿岸における歴史津波の現地調査 : 1662年寛文・1769年明和日向灘および1707年宝永・1854年安政南海道津波
その他のタイトル: Field Investigation of Historical Tsunamis along the East Coast of Kyushu, West Japan
著者: 羽鳥, 徳太郎
著者(別言語): Hatori, Tokutaro
発行日: 1986年2月7日
出版者: 東京大学地震研究所
掲載誌情報: 東京大学地震研究所彙報. 第60冊第3号, 1986.2.7, pp. 439-459
抄録: 寛文・明和日向灘津波および宝永・安政南海道津波について,史料をもとに大分・宮崎県沿岸各地を現地調査し,津波の高さ,浸水域の広がりを考察した.寛文津波は宮崎平野に広く浸水し,津波の高さは4~5mと推定される.明和津波は大分県沿岸で2~2.5mの波高があり,津波よりむしろ地震災害が上回った.津波マグニチュードは,それぞれm=2と1に格付けできる.両津波の震度・波高分布および地殻変動の記録を近年の日向灘津波と比べると,波源域はいずれも沿岸付近にあったとみなされる.一方,宝永南海道津波は大分・宮崎県沿岸各地の集落に溢れ,津波の高さは3~4.5mに達している.また,熊本・長崎県沿岸にも浸水記録があり,30分程度の長周期波が卓越したことを暗示する.安政南海道津波は宝永津波よりやや小さく,大分・宮崎県沿岸の波高は2~3mと推定される.両津波の規模および震度が1946年南海道津波を上回り,予想以上に九州各地に強い影響を与えていることから,波源域が1946年津波のものより四国の南西沖に伸びていたことを考えさせる.
URI: http://hdl.handle.net/2261/12949
ISSN: 00408972
出現カテゴリ:東京大学地震研究所彙報
東京大学地震研究所彙報

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