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タイトル: 玄界灘島嶼域を中心にみた縄文時代日韓土器文化交流の性格 : 弥生時代早期との比較
その他のタイトル: The characteristics of pottery cultural exchanges around Genkai-Nada Sea islands area between Japan and Korea : comparison with the early Yayoi period
著者: 古澤, 義久
著者(別言語): Furusawa, Yoshihisa
発行日: 2014年3月29日
出版者: 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部考古学研究室
掲載誌情報: 東京大学考古学研究室研究紀要. 第28号, 2014.3, pp. 27-80
抄録: 本稿では対馬島、壱岐島、沖ノ島といった玄界灘島嶼域の縄文時代遺跡の展開と縄文土器の特徴について整理し、日韓土器文化交流の展開について考察した。縄文時代後期前葉までの玄界灘離島域の遺跡の消長と韓半島南部地域で出土する縄文土器の比率は対応している。また、韓半島系土器は対馬島で集中して出土しており、韓半島からの渡航集団の主要最終目的地は対馬島であり、日韓交流上、玄界灘島嶼域の中でも対馬島が果たした役割が大きかったことを示した。一方、弥生時代早期には九州北部が韓半島からの影響を強く受ける時期であるにも関わらず、玄界灘島嶼域では韓半島との交流要素は比較的少なく、日韓交流上の重要性は相対的に低下しており、韓半島からの渡航集団の最終目的地に九州本島が加わったものと考えられる。このように弥生時代早期の様相と比較することで、縄文時代の日韓交流の特質として①韓半島からの渡航集団は縄文時代から弥生時代早期を通じて玄界灘離島域では独自の土器様式を持つことがなかった対馬島を主要最終目的地としたこと、②精神文化上の交流はほとんどみられないという2点が挙げられ、この2点こそが、一部の事例を除外し、基本的に九州縄文土器に韓半島からの影響が認められない主要因であるものと考えられる。このような、交流の性格・内容の差異と玄界灘島嶼域における三万田式期の時期的な断絶は看過しえないことであり、縄文時代の漁撈民の交流の基礎の上に弥生時代早期の水稲稲作農耕の導入が行われたとする従来の単線的な発展史観は、成立しないということを併せて指摘した。
URI: http://hdl.handle.net/2261/55757
ISSN: 18803784
出現カテゴリ:東京大学考古学研究室研究紀要
東京大学考古学研究室研究紀要

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